![]() |
目次へ戻る | 牧岡さん大研究 |
| 五左衛門さんを訪ねて | ||
岐阜県不破郡垂井町岩手
牧岡五左衛門さんは、竹中半兵衛の竹中家の家臣です。五左衛門さん
を訪ねるなら、この竹中氏を訪ねてみてください。岐阜県不破郡垂井町岩手には、竹中氏とその家臣の菩提寺でもある禅
幢寺をはじめ、竹中氏の陣屋跡、江戸時代の藩士の教育の場であった
菁莪堂を記念して建てられた菁莪記念館などがあります。この辺りを散策すると、何か五左衛門さんに関する発見があるかもしれま
せん。
機会がありましたら、ぜひこの垂井町岩手を訪れてみてください。![]()
菁 莪 記 念 館 まず、この記念館に寄ってみてください。ただし、常時公開されていませ |
|
岩 手 藩 士 分 布 の 図 菁莪記念館に入って正面の右上に「岩手藩士分布の図」があります。そ (写真提供:タルイピアセンター原田義久様)
|
岩 手 藩 士 の 名 前 その分布図には、「五左エ門」さん以外にも、岩手藩士と思われる人の名
今でも、この近所には、寺島さん、平手さん、北村さん、溝口さん、伊藤さん なお、興味のある方は「竹中家の家臣」をご覧ください。 (写真提供:タルイピアセンター原田義久様) |
|
この分布図によれば、最初の地図の●あたりが、「五左エ門」さんの家が このページはタルイピアセンター原田義久様に多大なご協力をいただき作 また、垂井町のホームページもあわせてご覧ください。 |
牧 岡 家 に つ い て 「垂井町史・史料編」に「明治4年6月岩手家中帰農籍」という項目があります。明治4年といいますと、五左エ門さんが亡くなった翌年です。そこに書かれている才二郎さんは、牧岡家の跡取りだと思われます。 それによりますと、牧岡才次郎さんは、明治4年に33才で、家族は次のとおりです。
そして、「宗旨東本願寺長正寺旦那」と書かれています。 別の資料により「こと」さんは、五左エ門さんの奥さんであることがわかっています。この「こと」さんは、明治11年6月30日に亡くなっています。 関ケ原と岩手の牧岡家 現在岐阜の牧岡さんは、関ケ原の五左衛門さんのお墓と縁のある牧岡家と、岩手の牧岡家の2軒に分かれています。五左衛門さんまでは、一緒だったような気がしますが、その後、何らかの理由で2軒に分かれたと考えられます。それがどうやら、この才次郎さんがキーマンらしいのです。 これから先は私の推測なのですが、この「きみ」さんは、上記の「きえ」さんではないでしょうか?筆で書くと同じような字になりますよね。そして、養子をとって関ケ原へ住まいを移したので、関ケ原に五左衛門さんのお墓があったのではないでしょうか? |
|
岐阜県垂井町岩手の牧岡さん 牧岡五左衛門さんに縁のある牧岡家は、現在2つありますが、元は一つだったと思われます。一つは関が原の牧岡さん、そしてもう一つが垂井町岩手の牧岡さんです。
大きな墓石の表には「南无(無のこと)阿弥陀佛」と彫られていて、裏には「天保五年甲午年八月朔日(旧暦の1日のこと)」「牧岡姓」と彫られています。 また、墓誌は、新しく作られたものですが、その中には「天保14年2月13日五左衛門」と、牧岡五左衛門さんの名前も書かれています。 *この家は代々五左衛門を名乗っていたと伝えられています。最後の五左衛門さんは、関が原の牧岡さんによれば明治3年2月12日に亡くなられています。 |
![]() |
||
| 牧岡さん大研究 | 上へ戻る | |